ドラゴンモデルズ社製。2004年に発売されたアメリカ陸軍第34歩兵師団・第100歩兵大隊所属ナガシマ軍曹のフィギュアになります。第100歩兵大隊は第二次世界大戦中にハワイの日系アメリカ人二世を中心に編成された部隊です。ヨーロッパ戦線に戦闘団として投入されイタリア戦線及びフランス戦線でドイツ軍を相手に戦いました。日系二世兵士たちは当初、敵対国である日本人を祖先に持つ事から前線には送られず、アメリカ本土で半ば隔離的に訓練のみに携わっていましたが1943年には第34歩兵師団レッド・ブルの傘下に配属となりイタリア戦線に送られモンテ・カッシーノの戦い、ベルベデーレの戦いで勇猛果敢に戦いました。第100歩兵大隊所属の日系二世兵士たちは師団シンボルであるRED BULLのインシグニアをヘルメット前面にペイントしていた事でも名を馳せました(写真13)。これは1943年10月10日、師団長の命令によるもので、師団の一員として正式に迎え入れられアメリカ人兵士としても認められた証として第100歩兵大隊兵士の士気向上に繋がりました。1944年6月にはアメリカ本土からの新たな志願兵を加えて編成された有名な第442連隊戦闘団がイタリア戦線に到着し、その第1大隊として編入されますがそれまでの功績から第100歩兵大隊の名称はそのまま継続しました。当初は「ジャップ」と呼ばれたり上級指揮官から「必要ない」と差別的に扱われた日系部隊でしたが戦闘で数々の戦績を重ねる事で各方面の指揮官から2世部隊を増援で欲しいと言われるまでに信頼される存在となって行きました。因みに第100歩兵大隊兵士の12%は現役の大学生でその5%は大卒以上の学歴の持ち主でした。入隊にあたり志願者全員に対して実施された陸軍式知能検査によると大隊全体の平均知能指数は103という結果が残っており(通常同検査で110以上の数値が出た者は無条件で士官候補生)殆どの兵士が文武両道に長けていた事が窺えます。ナガシマ軍曹のフィギュアには通常装備品に加えM2迫撃砲や榴弾砲を取り扱う特殊技能者として1等軍曹の階級章にTECHNICIAN(特殊技能兵)を意味する T が入る2等特技兵の階級章が付属(写真12)しており通常の3等軍曹との選択が可能です。品物はBOX上扉に軽い破れ(写真16)が有りますがフィギュア本体は未使用の美品です。宜しくお願い致します。
ドラゴンモデルズ社製。2004年に発売されたアメリカ陸軍第34歩兵師団・第100歩兵大隊所属ナガシマ軍曹のフィギュアになります。第100歩兵大隊は第二次世界大戦中にハワイの日系アメリカ人二世を中心に編成された部隊です。ヨーロッパ戦線に戦闘団として投入されイタリア戦線及びフランス戦線でドイツ軍を相手に戦いました。日系二世兵士たちは当初、敵対国である日本人を祖先に持つ事から前線には送られず、アメリカ本土で半ば隔離的に訓練のみに携わっていましたが1943年には第34歩兵師団レッド・ブルの傘下に配属となりイタリア戦線に送られモンテ・カッシーノの戦い、ベルベデーレの戦いで勇猛果敢に戦いました。第100歩兵大隊所属の日系二世兵士たちは師団シンボルであるRED BULLのインシグニアをヘルメット前面にペイントしていた事でも名を馳せました(写真13)。これは1943年10月10日、師団長の命令によるもので、師団の一員として正式に迎え入れられアメリカ人兵士としても認められた証として第100歩兵大隊兵士の士気向上に繋がりました。1944年6月にはアメリカ本土からの新たな志願兵を加えて編成された有名な第442連隊戦闘団がイタリア戦線に到着し、その第1大隊として編入されますがそれまでの功績から第100歩兵大隊の名称はそのまま継続しました。当初は「ジャップ」と呼ばれたり上級指揮官から「必要ない」と差別的に扱われた日系部隊でしたが戦闘で数々の戦績を重ねる事で各方面の指揮官から2世部隊を増援で欲しいと言われるまでに信頼される存在となって行きました。因みに第100歩兵大隊兵士の12%は現役の大学生でその5%は大卒以上の学歴の持ち主でした。入隊にあたり志願者全員に対して実施された陸軍式知能検査によると大隊全体の平均知能指数は103という結果が残っており(通常同検査で110以上の数値が出た者は無条件で士官候補生)殆どの兵士が文武両道に長けていた事が窺えます。ナガシマ軍曹のフィギュアには通常装備品に加えM2迫撃砲や榴弾砲を取り扱う特殊技能者として1等軍曹の階級章にTECHNICIAN(特殊技能兵)を意味する T が入る2等特技兵の階級章が付属(写真12)しており通常の3等軍曹との選択が可能です。品物はBOX上扉に軽い破れ(写真16)が有りますがフィギュア本体は未使用の美品です。宜しくお願い致します。
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