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報徳記(明治18年 和装木版本) 【判型】半紙本8冊。縦229粍。 【作者】富田高慶(タカヨシ)作。 【年代等】安政3年11月著者凡例。明治13年10月、相馬充胤序。明治16年11月、川田剛(甕江オウコウ・毅卿キケイ)序。明治18年2月出版届。明治18年5月譲受・刊。[東京]農商務省蔵板。[東京]大日本農会発兌。 【備考】分類「伝記」。安政3年の二宮尊徳の死の直後に書き上げたもの。書名の「報徳」とは、尊徳が提唱した道徳の提目で、現実の人間関係は徳の交換で成立しており、他人の徳の恩恵に対して自己の徳を以て報じるのが人間として正しい、とする意である。尊徳は世に出るまでの事柄を人に多く語らなかったので、富田としては努めて関係者の言い伝えによってこの時期を書かなければならなかった。従って、弘化2年以前の部分は正確を期しがたい所がある、と富田は序文で断っている。巻1を読むと、戦前に普及した「二宮金次郎」のイメージは既に尊徳在世中から成立していたことが察せられる。記述は、尊徳が関係した各々の仕法の実情を述べ、その中に人間としての偉大さを浮かびあがらせる形式になっている。富田の立場もあり、相馬家仕法が最も精しい記述になっている。師への尊敬と追慕のあまり、人格評価が一面に過ぎる弊がないでもない。しかし、尊徳の人となり、思想と業績を後世に伝えるには和文がふさわしいと断じ、あえて漢文を避けたところには、確かな見識が認められる。富田高慶(1814-1890)は、陸奥中村の相馬藩士であったが、江戸遊学中に尊徳の名を知り、天保10年旗本宇津家の下野桜町領陣屋で入門。富田の入門を契機に相馬家と尊徳の接触が始まり、弘化2年から相馬藩財政の復興仕法が開始、明治4年の廃藩まで続行する。富田は尊徳の指導のもと、仕法の陣頭指導にあたった。なお富田は尊徳の娘ふみを妻とした。『報徳記』は明治16年宮内省板が最初で、明治18年に農務省を経て大日本農会に移譲され、広く普及した(「日本古典文学大辞典」参照)。 ★改装・題簽欠・状態良好。【参考価格(初出品時の相場):日本の古本屋で、15,】。
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報徳記(明治18年 和装木版本)
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【作者】富田高慶(タカヨシ)作。
【年代等】安政3年11月著者凡例。明治13年10月、相馬充胤序。明治16年11月、川田剛(甕江オウコウ・毅卿キケイ)序。明治18年2月出版届。明治18年5月譲受・刊。[東京]農商務省蔵板。[東京]大日本農会発兌。
【備考】分類「伝記」。安政3年の二宮尊徳の死の直後に書き上げたもの。書名の「報徳」とは、尊徳が提唱した道徳の提目で、現実の人間関係は徳の交換で成立しており、他人の徳の恩恵に対して自己の徳を以て報じるのが人間として正しい、とする意である。尊徳は世に出るまでの事柄を人に多く語らなかったので、富田としては努めて関係者の言い伝えによってこの時期を書かなければならなかった。従って、弘化2年以前の部分は正確を期しがたい所がある、と富田は序文で断っている。巻1を読むと、戦前に普及した「二宮金次郎」のイメージは既に尊徳在世中から成立していたことが察せられる。記述は、尊徳が関係した各々の仕法の実情を述べ、その中に人間としての偉大さを浮かびあがらせる形式になっている。富田の立場もあり、相馬家仕法が最も精しい記述になっている。師への尊敬と追慕のあまり、人格評価が一面に過ぎる弊がないでもない。しかし、尊徳の人となり、思想と業績を後世に伝えるには和文がふさわしいと断じ、あえて漢文を避けたところには、確かな見識が認められる。富田高慶(1814-1890)は、陸奥中村の相馬藩士であったが、江戸遊学中に尊徳の名を知り、天保10年旗本宇津家の下野桜町領陣屋で入門。富田の入門を契機に相馬家と尊徳の接触が始まり、弘化2年から相馬藩財政の復興仕法が開始、明治4年の廃藩まで続行する。富田は尊徳の指導のもと、仕法の陣頭指導にあたった。なお富田は尊徳の娘ふみを妻とした。『報徳記』は明治16年宮内省板が最初で、明治18年に農務省を経て大日本農会に移譲され、広く普及した(「日本古典文学大辞典」参照)。
★改装・題簽欠・状態良好。【参考価格(初出品時の相場):日本の古本屋で、15,】。
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